プロフィール
森久保 なつき (夏樹)
(昭和57年) 1982年 7月 20日 生まれ (39歳)
高幡生まれ、高幡育ち
北海道大学 卒 (農学部)
英国レディング大学修士号 (農業経済学)
行政書士試験に合格
趣味: 登山、日本史
1982年 東京都日野市高幡に生まれる
1988年 光塩女子学院日野幼稚園 卒園
1994年 国立学園小学校 卒業

子どものころの高幡を振り返ってみますと、まさに「緑と清流」のまちそのものでした。

近くには水田や畑がたくさん残っており、浅川沿いの雑木林もいまよりずいぶん大きかったと記憶しています。 また、幼稚園にしても小学校にしても裏手にすぐ山があったり、学校の隣が森だったりして、 非常に自然との距離が近かったことを覚えています。

この時の原風景が後年の自然ゆたかな北海道の大学への進学や、登山への関心につながって行ったのかな、と思います。

1997年 桐蔭学園中学校 卒業

旅行先で見かけた八ヶ岳の雄姿に魅了され、「いつか登ってみたい」という気持ちから「アウトドアライフ部」に所属してキャンプと登山活動に取り組みました。

登山は甘さがあれば即、事故につながります。この部活動での経験を通して準備の大切さ、変化の多い状況での判断力や対応力、 そして平常心をいかに保つかなど、いろいろな面を鍛えられたと感じています。 部活動でのハイライトは中学3年生夏、八ヶ岳の主峰・赤岳(2899m)に登頂したことでしょうか。この時の感激はいまでも忘れることができません。

また、このころから北の大地への憧れを抱き、 中学1年生の春休みには同級生と2人で、鉄路での4泊5日の北海道旅行に出かけました。 実はこのとき、部活にエネルギーをかけ過ぎていたせいか、2人とも数学の点数が足りず、追試の呼び出しに怯えながらの冒険旅行でした。

2001年 桐蔭学園高校 卒業

満員電車が嫌いで、当時から3密を避け、朝5時半には家を出て町田まで通学していました。

高校時代でもっとも思い出深いのは、「いつのまにかいなくなってしまったホタルを町田市内の竹林に再度自生させる」という課題研究です。 2年の研究期間でしたが、メンバー7名で時には竹林や用水路での土木作業もし、卒業間近にホタルの自生を確認できたときには、 チームワークで成果をあげられたことに大きな喜びと手応えを感じました。

文化祭で蛍の研究を説明する様子

また進路をきめる高校2年生の頃には「自分が生まれ育った「東京」以外の場所で暮らしてみたい、だったらあの中学生のときに旅した北海道で勉強したい」と考え、 北海道大学農学部への進学を目標としました。

2007年 北海道大学農学部卒

大学時代の研究テーマは国鉄→JR北海道→第三セクターと移管されてきたふるさと銀河線の存廃問題でした。

学外の方には「農学部なのになぜ?」と聞かれることも多いのですが、私が学んだのは農学部の中でも地域経済を扱う学科で、 農業という産業を通して北海道を経営していくという使命をもっていた北海道大学ならではの分野だったからかもしれません。 他大学の研究者とともに、札幌より300㎞以上も離れた道東地区を繰り返し訪問して、沿線自治体と議員、沿線住民が設立したNPOなどの皆様のご協力を仰ぎ、 公共交通の廃止によって一番大きくダメージを受ける、弱い立場の学生や高齢者にフォーカスをする研究を行いました。

また在学中、21歳のときに初めてアメリカ合衆国へ行きましたが、10年ぶりに会った米国在住の従兄弟との英語の壁に衝撃を受け、 以降、本気で英語に取り組むことになり、これがのちの英国留学や海外にかかわる仕事につく素地の一つになりました。

カリフォニア州 太平洋
テキサス州 アマリロ
ニューメキシコ州 サンタフェ
ルイジアナ州 ニューオーリンズ セント・ルイス大聖堂
2009年 英国レディング大学修士号(農業経済学) 取得

この大学院には「自国の経済発展のために農業の生産性をあげる」ということを研究目的にしている、発展途上国からの留学生が多かったため非常に多国籍な環境でした。

日本はどちらかというと「農業保護ばかりしてけしからん」と言われてしまう立場でしたので、そこから来ている私はちょっと立場の弱い留学生でした。 このような環境でグループワークを行いますと、国籍・価値観が多種多様ですので、日本では考えられないくらい、メンバー全員の意見を調整し、まとめて、 研究成果を発表するという作業に労力をかけなければいけませんでした。

この調整のプロセスを経験できたことは非常に大きかったと思います。 同時に日本人は互いに歩み寄っての合意形成ということに関してはある意味天才なのだなあ・・と実感しました。

英国 ウィンチェスター

地理的・歴史的経緯からアフリカからの留学生が多い学部でした。 当時、私は、日本食もだいぶ世界に知られるようになり、「SUSHI」はどこの国でも受け入れられている・・と思っていたのですが、 何人ものアフリカの留学生に「どうして、レストランで料理されていない魚にお金を払ってたべるのですか?」と質問され、「こういう考え方もあるのか」と思い知らされることとなりました。

20代 20代後半、貿易商社の設立

大学院を修了したあとは「自分の力を試したい」という気持ちから貿易商社を設立し、しばらくの間は海外から部品や工業用原料の調達する仕事をしていました。

案件としては「国内企業から購入していた製品があったが、供給元が後継者不足・人出不足で廃業してしまうので購入できなくなってしまう、しかし、ウチでは取り扱う数が少ないので、 大手の貿易会社では扱ってくれないから海外で探してほしい」という国内の中小企業からの相談で始まることが多くありました。

登山写真
飯豊山 (右2)
高水山 奥多摩 (左)
30代 外国人労働者の就労相談を続け非正規雇用問題に取組む

貿易商社を設立してから数年しますと、取引先から「自分の企業も人出不足になってしまい、外国人を雇いたいが、どうしたらよいのか?」という相談が入るようになり、 お客様のニーズに応える形で外国人人材のビジネスに関わるようになっていきました。 その中で日本語習得のために借金を背負い、 その学習期間も短く、ましてや日本の法律などわかるはずもない環境で不安や問題を抱えている外国人労働者が多くいることを知り、 近年はそういった弱い立場にいる方々のサポートをする仕事に携わってきました。

自分自身も大学院生時代、英国というアウェーで暮らす苦労を多少なりとしてもしていたことが、 思いがけず「彼らの身になって考える」上で大変役に立ちました。

2021年 行政書士試験合格

外国人労働者の方々のサポートをするなかで、「自分自身にもっと法律知識があれば、より力強く、総合的に支援できるのではないか」と感じるようになり、行政書士の資格を取得しました。 そしていま、縁あって弱い立場の人々に寄り添い続けている菅原都議と出会い、その一貫した政治姿勢に共鳴する者の一人として、菅原直志事務所の政策委員となりました。

菅原直志都議と2ショット!
菅原直志事務所にて政策立案に関わる

これからは東京都議会 菅原直志議員と共に自分自身も直接、日野市民の声をきき、議会にとどけ、寄り添う活動をしていきます。

日野市議会議員
4月18日の日野市議会議員補欠選挙、得票数13,102にて 当選。

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